大正時代・ロマンのイメージって?女学生の髪型・服装おさらい|創作設定

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創作界隈では人気の“大正浪漫”。

漫画の世界では昭和50年代のヒット作、「はいからさんが通る」が代表と言って過言ではないでしょう。

当時の文化に基づいた和洋折衷の世界観、ファッションや美術のデザイン性の高さから女子たちに大ウケ。もちろん主人公の花村紅緒と青年将校の伊集院忍との、今の表現でいうところの“両片思い”のストーリーも悲喜交々で乙女たちを夢中にさせました。

その証拠にアニメ化、実写化、宝塚歌劇団での舞台化と、そして2017年にはアニメ映画化と、現在にいたるまで繰り返しメディアミックスされていますよね。

その後も大ヒットゲーム「サクラ大戦」シリーズや、少年漫画「るろうに剣心」昨今では「鬼滅の刃」「わたしの幸せな結婚」など令和の時代でも大人気です。青春や恋愛などの日常を描くだけでも華やかになりますし、日本の文化と西洋のテイストが豪華絢爛に混じり合いとファンタジーとの親和性が高いのも特徴です。

大好きなテイストなら「私も(描き)書きたい!!」と思うのは自然。とはいえ文化的な背景がわからない。衣装や背景は何を参考にすれば良いの?という声も……。

とくに女学生のファッションやヘアスタイル、日常を詳しく知りたいという方は多いのではないでしょうか?

創作の参考になるようにまとめてみました。

もくじ

そもそも大正時代ってどんな時代?

大正時代は1912〜1926年の15年間。普通選挙がまだ行われていない時代で、その権利を得るために起きた政治活動が「大正デモクラシー」です。

第一次世界大戦にともなう好景気を背景に、都市が発達。文化や教育が発展しました。インフラが整備され、西洋式の住居「文化住宅」が流行し、家庭でも洋食が並ぶように!

役所仕事や会社勤めのサラリーマンが増えたのもこの頃。高校、大学などの高等教育機関も次々創立されます。

つまり、私たちの生活の基盤ができたのが大正時代といえます。

ただ、1923年に起きた関東大震災で、東京都市部は街が壊滅、死者不明者10万5000人とも言われる未曾有の大災害です。こちらも大正時代を語る上で避けることのできない悲劇です。

勉学に、仕事に、女性が活躍!

大正時代を表す象徴的な言葉が「職業婦人」と「モダンガール」。どちらもいきいきと活動的に暮らす女性を表しています。

「職業婦人」は文字通り、働く女性。タイピストや電話の交換手、デパートガールや、針子さんなどのほか、お医者さんになる女性もいました。後期には映画女優やアナウンサーという人前に出る華やかな仕事も増えていきました。

「モダンガール」は、銀座をはじめ都会のメインストリートを闊歩するモダンスタイルの女性です。着物を脱ぎ、髪を切り、洋装でショートボブカットの女性が街を彩りました。

当時の学生さんはどんな日常を送っていたの?

明治時代から現フェリス女学院などの女子校が創立されるようになりました。大正時代には女子の進学率も上がり、とくにミッションスクールではリベラルな教育を受けるようになります。

この頃「女子も小説を読もう」という運動があり、少女雑誌がたくさん創設されました。中でも明治刊行の「少女の友」は乙女たちの必読雑誌。なんと連載作家が、川端康成、井伏鱒二、室生犀星、中原中也、堀口大学……。文学界に名を残す巨匠ばかりというのがすごいですよね。

掲示板コーナーや読者集会はいわゆるSNSやオフ会のはしりですよね!この頃から乙女たちは創作物を愛し、交流を楽しんでいました。

著:実業之日本社, 監修:遠藤 寛子, 編集:実業之日本社, 読み手:遠藤 寛子, 翻訳:内田 静枝

乙女たちの秘密の花園。エスって?

女学生たちにとって、お手紙のやりとりが特別なのはメッセージアプリが盛んになった今と変わりません。とくに親しい上級生と下級生の関係は「エス」と呼ばれました。こちらはsisterhoodの頭文字を取ったもので、類似姉妹という乙女同士の絆を表したものです。

当時は男女別学なので、もちろん生徒は女子だけの世界。しかも進学しているのは育ちの良いお嬢様たちです。お慕いする上級生を「お姉さま」と呼び、お手紙のやりとりをしました。

ノーベル文学賞作家の川端康成が「乙女の港」というエス小説を少女雑誌で書いていたのは驚きですよね。当時は創作物の中でも大人気だったんですよ。

お気づきの通り、今の百合ジャンルの起源ともいえそうな「エス」の文化。「“マリみて”って実在したの?!」って思ってしまいますよね。100年以上の月日が経っても、愛すべきジャンルって不滅です♪

女学生たちのファッションは?

私たちがイメージする大正時代の女学生といえば、やっぱり袴にブーツの和洋折衷スタイルですよね。言わずもがな、卒業式の定番ファッションです。

元々、紋付袴のように、袴は男性の正装でした。女性は帯をしっかり絞めた着物姿だったのですが、着物は着崩れやすく動きづらいのです。そんな状況で働く女性の代表である教師たちが男袴を履くようになったと言われています。その後、学習院女子大学が制服として袴を採用。全国的に広がりました。

和洋折衷の時代です。歩きにくい下駄を脱ぎ捨て革靴を履き、おさげやポニーテールに大きなリボンをつけて、女学生たちは自由におしゃれを楽しむようになりました。今も昔も、女の子はオシャレが大好き!

着物では乗ることができない自転車に跨って颯爽と通学する様子は、まさに「はいからさんが通る」の世界。矢絣の着物に海老茶色の袴が流行っていたことから、彼女たちは「えび茶式部」と呼ばれていたんですよ。

ちなみに、女子大生たちが卒業式に袴を履くようになったのは1987年の「はいからさんが通る」の実写ドラマがきっかけと言われています。主演の南野陽子さんの姿に憧れた女子大生たちが袴で卒業式に出席し、全国的に広まっていきました。

一瞬ですぎさったからこそ、キラキラと輝いている時代

大正天皇は病弱だったため、15年間と短い大正時代。華やかな西洋文化が入り経済が発展したとはいえ、第一次世界大戦と関東大震災は悲痛な歴史です。また大正時代は女性たちがめきめきと活躍する一方で、実際女性が選挙権を手にするのは第二次世界大戦終戦の翌年昭和21年と、かなり先のことです。

一説では後世「大正浪漫」ともてはやされるきらびやかな文化は、関東大震災とともに崩壊し、その後戦争により国が貧しくなり、色彩や自由を奪われ、悲痛な歴史に巻き込まれて消えていったとも言われています。

当時の袴姿の女学生たちも、実は一瞬の姿。大正時代にはすでに当時の最先端セーラー服の制服も取り入れられていました。新しいもの好きな乙女たちは、今度は袴を脱ぎ捨てるのです。

儚かったからこそ、私たちを夢中にさせる「大正浪漫」は本当に歴史に残る奇跡のような瞬間です。だからこそ、たくさん創作を残し、さらにそれを楽しみ、次世代に残していきたいですよね♪

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